中庸

スポットライトが当たっていない場所を見るのが好きです。
黒子の活躍とか、馬役の足とか、舞台上の小道具とか、メインの役者を見ていないことなんてしょっちゅうです。
千と千尋の神隠し』での好きな映像は、印鑑を呑み込んだハクがのたうちまわって落ちていった先の薬場の“桐箪笥に付いた血の跡”です。
等等、所謂『マニアック』なところに私の注目は寄せられます。
いつからこんなセンター以外が好きになったんだろう…(笑)
(最初の発現はアレかな、音楽の授業で♪コンドルは飛んでゆく♪を合奏することになった時。出席番号順でグループリーダーを押しつけられた私が独断と偏見で選んだのはアルトリコーダー2ndパートだったんだよね。主旋律(=アルトリコーダー1st)の裏メロ役。主旋律は忙しい・ソプラノリコーダーは吹きにくい・音程がなだらかで運指が楽だからという理由だったんだけど、メロディが掴みにくかったか周りからは不評だった。あの時の合奏ってクラス全体で合奏して終わりじゃなかったかなぁ)

単独で目立つことはない。でも、ないと何だかしまらない気がする。なのに何が足りてないのかはっきりとは分からない。
本来の語意とは違うだろうけど、私は「中庸」ってそういうものだと思ってます。
あんこに入れる少量の塩とか。うま味を引き出すもの的な?
そういう、ひっそりとした存在の仕方が好きです。
その、ひっそりとした存在で支える、という嗜好は、パート譜がないからトロンボーンとかチューバの譜面を転用するというバスクラ生活によって助長されたような気がします。
中低音楽器、楽しいですよー。
リズム隊か裏メロ補助。それに尽きるんだもん(笑)
そりゃ〜歌を聴けばハモりパートをメインに耳が拾うようになるってもんですよ。主旋律を他の楽器で聴きながら自分は違う音出してるのが通常営業なんだから。
音の層を厚くする。中低音楽器の担うポジションはそこです。俗に言ってしまえば隙間産業のようなものです。
でも、その、ニッチを埋めるところがいいのです。

木の葉を隠すなら森の中。の逆で、森の中の一枚の木の葉。
であろうとする嗜好。の為すこと。を見るのが大好きです。
だから、スポットライトの当たっていない場所、を見るのです。


そーいう、根本的な嗜好が合っちゃうと、同族意識が発生して地味〜にツボに入るんだよねー…(笑)