予定調和的な期待

気遣いを予定調和的に期待されると、期待するなと言いたくなります。
外国では「チップ」として考えられる部分ですね。
日本人は「気遣い」とか「おもてなし」としてスマイル0円と同じに思われておりますが、それは民族性故のことであって、決して0円ではないのです。
その0円はプライスレスの0円なんです。
プライスレスと0円は、似ているようで全く違います。

プライスレスは、行為者の善意に拠るもので、
0円は、行為を受ける側の無意識的な希望価格です。

気遣いを予定調和として計算されるということは、善意の希望小売価格は0円ですと言っているようなものです。

そういうのは、「してもらって当然。」と言います。
プライスレスの善意を強要しています。
善意は強要されるようなものではないのです。自然に発生するものです。
日本ではその善意による行為が自然発生するから(お互いさまですとなって)チップ制がなく、外国では行為を価値として考えるから「チップ」という行為に対する価格が発生するのです。

気遣いや思いやりは自然に発生するもので、期待するものではないのです。